はじめに
みなさん、デッサンしてますか?
普通に生きていたらやる機会無いですよね。私も現在はそうです。
ですが、学生時代に毎日デッサンに明け暮れていたことは今でも思い出します。
最近のAIイラストソフトの登場で、平均値的な正しい形が提示され、正しい絵というものがにわかに、大衆に認知され始めている印象があります。
しかし、個人の主観であった部分が、平均値的な正しい形の絵の大量生産によって矯正されるものの、やはり違和感を感じることも多いと思います。
人は、無意識のうちに正しい形をそれぞれ認識していると言うことなのかもしれません。
これは人の目で見た世界と、機械であるAIが導き出した平均値的な正しい形の違いでもあり、大変興味深いです。
最高学府出身の教授
と、ここで過去の話になりますが、
私がデッサンに明け暮れていた時の話です・・・
私が所属していたのは、東京藝術大学出身の教授が持っているアカデミック主体の研究室でした。
教授の口癖は「デッサンによって正しい形を知り、世界そのものを知る」というものでした。
教授のことは尊敬していたので、良い言葉だなと当時は思っていました。
しかし、ある日のことです、デッサンの提出物に対して教授が一切合格を出さなくなりました、何十枚も提出しており期限が迫っていきます。
大型の組みモチーフなので、描き直しも大変です。
他の生徒も少し困惑しており、教授に理由を伺っても、「もっと心の目で」「世界を知るんだ」「正しい形というものは存在するんだ」とポエティックな返答しか得られませんでした。
他の生徒は素直で求道者的な性質の人が多かったので、その後も黙々と枚数を重ねていました。
疑念と実験
ですが、私は捻くれているので、「もしかして、その日の気分と好みで決めてんじゃね?」と思い始めました。
そこで、モチーフを写真に収め、プリントし拡大、枚数を繋ぎ合わせてチャコールで用紙にトレースしました。そこに藝大用の受験教材を参考にして、陰影をつけ、最後に自分の癖で味付けした物を提出しました。
すると
「素晴らしい、これだよ、これが正しい形だよ。よく覚えておきなさい。」
「これが世界を知るということだよ。」
と大手を振って褒められ、成績Aを頂きました。
この出来事で、私は教授に対する尊敬の念は薄れ、日本のアカデミック絵画に対しても疑念を持つようになりました。
要は正しい形というものに対して、人間は評価基準を持ち合わせていないのです。
一流の最高学府出身の教授でさえ、トレースされた完全に正しい形を正しいと感じ、出身校の教材の陰影を自分の評価基準として持っていたことになります。
これが最上であるなら、人が描く必要もありませんし、世界を知る必要も、心も必要ありません。
結局正しい形はそれぞれの経験と、思い込みの中にあるのだと逆説的に気づけたのは、この教授のおかげで、その後絵を描くことが楽しくなりました。
もう気にしなくて良いや、と・・・
これが過去にあった話です。
AIの導き出すもの
なぜこの話をしたかと言うと、結局AIが生み出した平均的に正しい形も、正しい。と言うことです。
そして、デフォルメが得意なイラストレーターの形も正しいですし、ヘタウマ系も正しいんです。荒々しいぐにゃっとした、主観が入ったような絵画も正しいです。
AIの登場により平均値的な正しい形が大量に生産され、提示されることで、絵を描く人、特に初心者が萎縮してしまいそうな現状は少し、寂しいというか、悲しいと言いますか。
AIに導き出せるようになった平均値的な「正しい形」を過信せず、人の目で見た正しい形を信じ、それぞれが自信を持ってこれが「私の絵だ」と言えるような世の中になって欲しい気持ちを込めて、記事を書きました。
最後に、ある団体ではトップに近い別の教授に尋ねた際の言葉を残しておきます。
「私は、生まれつき乱視で弱視だからそんなもの信じてないよ。気にするだけ無駄じゃ無いのかな。」