どろの日常

ほぼ日記、もしくは備忘録

美大の常識は非常識?

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美大の常識は非常識と言われてしまう学内の実態。

良い所悪い所、社会と人生に与える影響について。

 

よく、漫画やエッセイの様なもので美大や予備校がモチーフとなっていたりしますが、どうも実態とはかけ離れてるというか、リアリティがないというか。

美味しいとこ取りと言いますか。

 

唯一リアルだな・・と思ったのは、冬目景先生の「イエスタディをうたって」ですかね。本当あの空気感なんですよね美大進学予備校は。

ブルーピリオドなどはサッカー漫画で言うところのキャプテン翼のようなものです。

 

業界への忖度無しで語るつもりですので、美大の雰囲気が少しでも伝われば嬉しいです。※絵画系学科の話です。

どの様な人が目指すか

根も葉もない言い方をすると、多くは人と違うことがしたい承認欲求強めの人です。

 

他には、

・とにかく絵を勉強して描きたい人

・勉強が苦手でやりたくない人

・親が美大や音大卒なので自然とそうなった人

・花嫁修行的に通う人

・意外と多い漫画家になりたい人

この辺が多いですね。

 

社会人の入学動機も様々です。

美大に通っている還暦を過ぎた会社の社長さんに、話を伺ったことがありますが、最終的にたどり着くのは文化的ステータスだったり、文化的教養だそうです。

お金があってもその欲求は消えなかったそうです。深いですね。

 

入学後も浪人経験者含め、様々な人がいます。

その中で個性を演出することが主な目的となっていきます。

個性と承認欲求

個性ってなんでしょう、オリジナルってなんでしょう?

恐らくこれが入学後ほとんどの学生が直面する問題でしょう。

 

個人的には悪い風土だと思っているのですが、「人と違うほど良い」という強迫観念に近いものが、教授から学生まで蔓延しています。

 

ですが、個性やオリジナリティというものは身につけるものではなく、本人の世界の捉え方です。それが無い人達、それに気づいてしまった人達は、焦ります。

 

私って美大に通ってるのに、無個性で何も無いんじゃないか・・・

 

人と違う人生を歩みたくて入ったのに、より強い個性に出会うことで、自信を無くします。そこで多くの学生がとってしまう行動が、「個性を演出する」ことです。

 

ちょっと、独り言言いながら歩いてみたり、学食で変な食べ方してみたり、服装を全て柄物にしたり、人の意見とはとりあえず逆のことを言ってみたり、あえてメンヘラになってみたり。

 

そういった、キャラ付けをしてしまうのです。

その結果どうなるか、

自分の作品との整合性が取れなくなり絵を描くことが怖くなる

 

絵は素直なもので、全てを映し出します。それっぽいものを作ろうとしても、教授は一応プロなので考査ですぐ見抜かれます。

 

そのうち、絵を描くのも、キャラつけするのも面倒になって、大学から距離を取る様になります。最低限の単位だけ取り、夜はクラブや飲み会に出かけ一般の大学生に馴染もうと努力するような学生へと変貌します。

 

このパターンはかなり多いです。学生の半分くらいは2回生までにはこうなります。

 

美大卒なのに作家を揶揄したり、創作物をよく貶す人がいると思いますが、そういった学生の成れの果てなのです。

授業内容

当たり前ですが、とにかく絵を描きます。

一般教養も単位習得の義務がありますが、多くは実習と専門の美術史、思想学などです。

授業では、アカデミックから現代アートまで様々な価値観と技術に触れることが出来ます。

 

そして一般大学と違うのは、自分の実習用スペースが割り当てられることです。

各々そのスペースで絵を描いたり、作品を作ります。

コミックマーケットを想像してもらえばわかりやすいと思います。あのような感じの密接さです。学年の人数を数カ所の教室に詰め込むので、一人当たりのスペースはそこまで広くはありません。

 

そのような場所で、お菓子を食べながら仲良くおしゃべりしてたり、ヘッドフォンを着けて黙々と絵を描いたり、誰かが激しく議論しあってたり。

 

そして授業の多くには、期限を決めた作品の提出があります。

それぞれテーマが決まっており、授業内容を踏まえてのものが多いです。

 

教授に提出するパターンと考査を開くパターンがあり、後者は学生が一堂に集まり各々の作品を発表し、教授が論評します。

 

それらが終わって初めて実習の単位認定となるのです。

教授と生徒

実は少し複雑な関係です。

なぜなら、卒業後絵を描いて発表して活動したい学生からすると、教授はいわば業界人。

強力なコネになるからです。

 

それを教授もわかっているので、早い段階で囲えそうな学生を物色しています。

お眼鏡にかなった生徒はその教授の研究室に入り、修士課程、博士課程へと進むパターンが多いです。

 

特に私立大学の教授というものは意外と立場が脆いもので、自分の研究室の人数が減ったり離脱が相次ぐと、ゆっくりですが体よくクビになります。通信教育がある大学などは、そっちに回され時間が経つとクビというパターンが多いです。

国立はそれほどサイクルが早く無いです。良いか悪いかは置いといて。

 

なので、教授は常に自分の研究室に人を入れ、そして実績を出す必要があるのです。

自身が審査委員長をやっているコンペで数年連続で研究室の生徒に大賞を取らせたり、なかなかのパワープレイも横行しています。

それを見て、さらに学生が集まってくることで悪いループが出来てしまいます。

 

みんな得してるなら良いのでしょうが、忠誠心が強い生徒を、強引に研究室に入れてその生徒を学歴ロンダリングさせたり、無茶苦茶ですね内情は。

 

健全な研究室もありますが、残念ながらその様な教授は早くにお役御免になります。

まぁ、そういうことです。

先輩後輩事情

吉本です。

え?

ほぼ吉本です。

 

そうなんです。この関係性はお笑い芸人のそれと類似しています。

なぜなら、いわば絵を描いて発表している以上、個人個人が事業主のようなものです。

自分と自分の作品をブランド化してるようなものですから。

 

極端な例で言うと「売れてない先輩」「売れてる後輩」

などという関係も生まれます。

大学自体がある種事務所化しているのです。

 

その上での人間関係なので、後輩側の目線では、あの人良い人なんだけど実績ないからなぁ、あの人〇〇賞とったらしいぞ今度飲みに連れて行って貰おうぜ、など。

つまり、自分のキャリアにとってメリットがあるかどうかが重要になります。

 

先輩から見た場合も、企画展や、個人での展覧会を開く際にどうしても人手が必要になるので、常に有能な後輩を欲しています。実力というよりはノリの良さですね。この辺はお笑い芸人も同じだと思います。

 

このような歪んだ関係だからこそ、結びつきが強かったりするのですが、はっきり言って窮屈です。卒業後にシェアハウスをする人達も多いですが、ほとんど揉めて解散します。

実質的な美大の役割

上記にもありますが、実質的には美術系の人材を輩出する事務所ですね。

本来の大学での姿である、研究機関や可能性を広げる場としては機能していないように思います。

 

私はこの現状は社会的に良くないと思っています。

例えば、美大を卒業していない人が絵を描いて発表したいと思った時、事務所に所属していないのと同じ意味を持つのです。

 

様々な方面で不利になるので、結局旧来の美術団体に落ち着いたりします。

そちらでは師弟関係もあり、月一の研究会にはお礼金も必要で作風も限られるので、若い人であれば可能性を狭めてしまっている状況になります。

 

研究機関である大学と、営利に密接につながる事務所は分かれておらず、

そのどちらも兼ねている状況が美術業界全体の閉塞感にも繋がっているように思います。

 

音楽業界のようにアマチュアがいきなりスターに上り詰めるようなことが、ほぼ無いのです。現物が主体なので仕方がない部分かもしれませんが。

まとめ

ここまで、良い部分も悪い部分も書きましたが、結局は

大学はどこまで行ってもただの箱です

そこで何を選択するかが重要なのです。

 

その選択肢が普通の一般大学より狭く、そして無限のように多いのが美大なのです。

自分のアイデンティティを深く考えることが出来る場とも言えます。

世の中の悪い部分も沢山見て、沢山迷います。

 

それでも作品を作ったり、絵を描かずにはいられない人間が集まっている。

美大とは、異常で愛おしい場所なのです。